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甲西町(こうさいまち)は、山梨県中西部に存在した町である。 平成の大合併以前の山梨県における町の中で白根町、、敷島町、上野原町、白州町、河口湖町とともに数少なく「まち」と読む自治体であった(この7町も合併で消滅したが、河口湖町だけは富士河口湖町となり現在も県内で唯一「まち」を名乗っている)。 == 歴史 == === 先史・古代 === 平安時代後期には甲斐源氏の一族が甲府盆地の各地へ土着し各地へ勢力を及ぼすが、甲西町域から増穂町(富士川町)一帯に及ぶ大井荘にも甲斐源氏頭領・武田氏の一族が土着し、大井氏を称した。 町域には弥生時代から中世にかけての遺跡が多く分布し、田島には弥生時代から古墳時代・平安時代の遺跡である油田遺跡が所在し、江原には弥生時代中期の集落遺跡である向河原遺跡が所在している。大師には弥生時代・鎌倉時代の集落遺跡である大師東丹保遺跡が所在し、宮沢には鎌倉時代の集落遺跡である宮沢中村遺跡が所在している。 弥生時代では向河原遺跡から弥生中期の水田跡・集落跡が検出されており、油田遺跡から出土した弥生中期の土器からはイネの圧痕が検出されている。さらに、油田遺跡や大師東丹保遺跡からは弥生中期のシカ・イノシシ・種実類が出土しており、これらのことから当地では稲作を行いつつ、狩猟や堅果の採集を兼ねた生業展開が行われていたと考えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「甲西町 (山梨県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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